考えるための言葉の話。
気づいたことがある。
思考言語って概念のこと。
自分の母国語は、何を隠そう日本語だ。
もっと細かく言うなら、関西弁、いや丹後弁かな。
その言葉のマワリで生きてないと、
僕は言葉を紡げなくなってしまう。
考えるコトと、考える言語というものは密接に関わってる気がした。
今、英語の空間にいるから
(ちなみに、この間とうとう夢の中が英語という状態に....)
なかなか考えるということが少なくなっている。
というかならざるを得ないんだろうと思う。自然とね。
ナニカを考えるとき、もちろん日本語で考えているし
疑問や不安も全部、日本語という姿で生まれてくる。
まぁ言葉の話がしたいんじゃなくて、
考えるってことに関して、モヤモヤが出てきただけ。
あと、新たな言葉を獲得するってことは、
コレとは違う次元で、パラレルに考えないといけないんだと思う。
かなり難しい。
何を考えてんだろな。