つちをたがやすかぜのひと。かぜをうみだすつちのひと。

Would you like to peep my life??? ------- ------ 気づいたコトや考えゴトを置いて〼。写真と言葉もアリ〼。

ケータイとジャーナリズムの話。

突然思い浮かんだ疑問は、

どうしてこんなにたくさんの災害や事件、事故の映像が残ってるんだろう。

ってこと。

 

たとえば何かが起きたとき、ケータイ片手に状況を記録しようと思うかな。

たくさんの人だかりがあって、シリアスな雰囲気の漂う中で、ケータイをかざせるかな。

誰かが倒れてて、誰かが助けている状況で、動画アプリを起動しようと思うかな。

 

引っかかってるワードは、不謹慎。

どこまでが不謹慎で、どこからは OK なのか。

 

現場をリポートして、ネットに投げて、コメントつけて、

ってことが、スマートフォンを使えば

だれにでも簡単にできる時代。

 

"ジャーナリズム精神"なんてものが一般人の中でも、育ったりしてんのかななんて思う。

何かが起きて、この状況を記録しなきゃいけないとか。

あとからのことに備えて。

よりたくさんの人に伝えるために。

記者の間に合わない範囲のことを。

 

実際そのおかげで、

最近のニュースとかだと

気象災害とか事故が細かなトコまで解明できてる気がする。

 

じゃあ目の前でガス爆発が起きました。

人が何人か倒れています。

何をするべきでしょう。

カメラを回す?

いやいや、助けなきゃダメでしょ。

応急処置と救急車への連絡。

 

じゃあそうしてる人がいて

周りの人は?

そんとき初めてカメラを回すんでしょ。

 

きっと、スマートフォンは、"野次馬"って位置の人たちに役割と仕事を与えたわけなんだろうと思う。

見てるだけ、起きてることを観察してるだけ、

じゃなくて、記録するって大事な仕事。

 

その順番が曖昧になると、不謹慎になる。のかも、きっと。

やることがある。助ける必要がある。連絡する必要がある。応急処置しなきゃいけない。

それなのに、インタビューだなんだってやるから、ジャーナリストは批判される。

要は順番だ。

 

でももし素人だとして、

どうしても何もやることがわからない。

下手に手を出すのも怖い。なら、

大声で助けを求めながら

ケータイで動画を撮り続ける、現場を記録し続けるのも

この時代では、必要なことな気がする。

それができる状態にいるんだから。

 

なんかの有り様とか

不謹慎、野次馬なんて言葉の定義とか

倫理観なんて

時代と一緒に変わっていくもんだから。