なぜ?は、どこまで掘り下げるべきかの話
最近気づいたことは、
なぜ?と過剰に掘り下げすぎると、相手を混乱させ、コジツケを生む可能性がある(かもしれない)と思った。
これもそうだけど、結局根源的な気持ちや感情は、論理的に説明不可なんじゃないのか?ってこと。
表層的な部分から、なぜ?を繰り返して根源的な部分へ向かうわけだけど、
それ以上なぜ?に答えられないときはやがて来る。
そのときに、なんとなくそうなのかも?って言う風に、人の考え方や推測に合わせるようになってしまうんじゃないだろうか。
(もちろんそこには、聞かれすぎてもう答えるのが面倒くさいって気持ちもある)
ただ、根源にたどり着くのは大切かもしれないけれど、
そこまでに必要以上になぜ?を繰り返すことで、真理からは遠ざかるんじゃないかな。
これは僕の仮説だけど、
なぜ?を過剰に繰り返すと、相手が何かを好きか嫌いかという事自体を否定できると思う。
たとえば、あなたがこのAという漫画が好きだとしよう。
なぜAが好きなの?⇒絵が綺麗だから。
なぜ絵が綺麗だと好きなの?⇒読みやすいから。
なぜ読みやすいと好きなの?⇒ストーリーが入ってくるから。
なぜストーリーが入ってくると好きなの?⇒内容の面白さを感じられるから。
なぜ内容が面白いと好きなの?⇒面白くないよりマシじゃん。
と、来て、ここでこう質問する。
じゃあその条件を満たす漫画はこういうのがあるけど、コレも好き?これも?あとこれは?
たぶん、特に好きでもないものも出てくると思う。そうなってきたら、今度は、
じゃあなんで同じ条件でも好きなのと好きじゃないのがあるの?ホントは好きじゃないんじゃない?
そしてまたなぜ?のスタート。
言いたいことは、就活にこれを感じたってこと。
本来、なぜ?の繰り返しは、
論理的に原因を探るためのものだと思う。
それは、非感情的なものに限ってであって
感情的なものへは無意味ではないかな?
ある程度のなぜ?は重要だと思う。
しかし、感情的なものに対しては、過剰な繰り返しは混乱を喚起するだけなんじゃないだろうか。