つちをたがやすかぜのひと。かぜをうみだすつちのひと。

気づいたコトや考えゴトを置いて〼。

電車内で出会った軽井沢高原教会の広告とコピーが素敵だった話。

電車の中で。

山手線の中で。

 

出会ってしまいました。

めっちゃいい広告に。

 

あー、これだとあんまし感じでないなぁ。

一枚としてすごく良かったんだよね。

 

あった。これこれ。

 

ちょっと哲学感とかあっていい感じ。

ちょっとほっこりって感じ。

 

ちゃんと下のリンクで見ると、実際の広告の形で見れるけど、

言葉の内容じゃなくて、字体とか写真とか余白も含めていいんだよなぁ。

 

なんというか近所のおばあちゃん目線っていう感じ。

あぁ、子供の頃学校帰りに近所でニコニコしてるおばあちゃんとかいなかったかなぁ?

その人が語りかけてくる感じ。

 

意味深い言葉なんだろうけど

わかるようなわからないような

でも、暖かさみたいなものは感じるような。

そんな言葉。

 

特に好きだったのは、

「なるようになる」とは

あきらめてしまうことではなく、

想像した自分に気づくこと。

 

 

私たちは、自分の中で思い描いた人生を
今その通りに生きています。
無理だとあきらめてしまうのも、
何かに挑戦しようと動き出すのも、
どちらも心のどこかに思い描いた自分です。

「なるようになる」という言葉の意味は、
なんとかなると投げ出してしまうことではなく、
なると思ったものになるということ。
想像した自分に近づくこと。
あなた自身が持っているその「想像する力」で、
夢や憧れを自分のものにしてください。 

ちいさな想いから生まれる、

ちいさな幸せ。

 

 

慌ただしい、いつもの朝。
エンジンをかけ、車を走らせようとしたその時、
道を横切ろうとする黄色い帽子の女の子が現れました。
ブレーキを踏み、先に行くよう合図を送ると、
女の子はちいさな身体をいっぱいに使って
「お先にどうぞ」と笑顔で道を譲ってくれたのです。
そんなちいさな出来事が、
一日の始まりに心をそっとあたためてくれました。

それは、大人であっても、子どもであっても同じ。
誰もが持っているちいさなやさしさで、
そばにいる人を幸せにできるということ。

幸せは、そうやって、
ほんのちいさなことから生まれていくのです。 

 

ほっこりしました。